言葉にできなくても☆2

コングレスで会った同僚から、
ホメオパシー以外の記事、実は楽しみ、
むしろ歓迎☆とお声かけをいただきました。

そんな風に見えないかもしれませんが、
ホメオパシー以外の記事を書いていくこと、
どうなんだろうと自分に問うていた時期に頂いた
ありがたいご感想でした。
恐縮です、サーセンサーセン。

みきです♪

今日は、先日の記事へ
立ち回れる、勝てるの世界はとても生きづらく、 充足感幸せ感がないままだった☆
いただいたご感想から
始めさせていただこうかと思います。

(いただいたご感想から)
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>みきさんのブログとても参考にしています。
>きょうの11/3の記事もとても納得です。
>便利な反面、自分の内なる声がかき消されて
>しまうかんじですよね。
>自分アンテナで満足できる幸せな感覚、、私以前より自分の中に
>増えてきてると思ってます。(みきさんに感謝です!)
>
>しかしながら、この抽象的なイメージを言葉と文章にクリアにできる
>みきさんってすごい!です!

(差し上げたお返事から)
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Kさま
ご感想ありがとうございます。
満足できる幸せな感覚が増えてきていらっしゃるとのこと、
嬉しく読ませていただきました。

春に症状がつらかったときの
レメディーの使用頻度の調整は本当にお見事で、
かなりお辛かった症状を、
ご自身の感覚をつかって、
楽になる刺激量(レメディーの使用回数)を
見つけていらっしゃいましたよね。

感覚で探っていくって、あのときのような感じです。
上手にできていらっしゃいましたので、
これからも色々な場面に応用してみてくださいね。

文中、
みなさまへのヒントワードがあると感じました。
ブログに転載させていただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。

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感覚など、見えないものを
言葉に置き換えていることについて、
実は以前より、
>抽象的なイメージを言葉と文章にクリアに
と、同様のご感想をたくさんいただいてきました。

スピリチュアルなものはわからないし
信用できないとおっしゃっていた方からも、
「みきさんの見えない世界の話は、
 地に足がついているっていうか、とっても現実的で
 話が本当なんだってよくわかります」と伝えていただいたこともあり、
本当にありがたく、恐縮しております。

みなさま、いつもありがとうございます。

でね。
そうしたお声かけの背景には、
ご自身の感覚への不安、心もとなさが
おありなのかなと感じます。

感覚を
言葉に置き換えられないと
ご不安?という方が多いのかな?

あれかな、
スペックなど、情報で決めるときと
感覚で選ぶときでは、
手ごたえが変わるので、
心もとない感じなのかな?

もう一回、置いておきますね。
言葉にできなくても☆

「感じ」はあるんだけど、
どう言ったらいいのかわからないとき。

言い表せないまま、
心地よいか、心地よくないかで
選んでしまって大丈夫。

言い表せないままの
ご自身の「感覚」を、まるごと使ってみてください。

感覚の世界は、おそらくはじめは
ふわっとして微細なので、
スペックや感情よりも手ごたえを感じられず、
選ぶときに心細いかもしれませんね。

慣れてくると
微細なものをはっきり、
手ごたえとともに感じられるようになっていきますから

あいまいなその感覚のまま、使って、選んで
よかった、楽しかった、うまくいった、気持ちよかった、
満足した、幸せだった! などなどの経験を
たくさん積まれてくださいね。

その上で。
誤解があるかなーって感じる点を
今日はお伝えしてみたいなと思います。

それは、

(ちょっと厳しく聞こえたらごめんなさいね。
 この件が必要な方には、
 いつもの私らしい言い方ではわかりにくいかと思いますので
 ちょっと強めに行きますよ。
 では、いきます♪)

感覚を扱えても、必ずしも、
私のように言葉にできるわけではないです、
(感覚が扱えることと、
 言葉にすることは別のプロセスです)ということ。

どういうことかというと、
私が感覚を言葉に置き換えるときには、
その感覚を生じさせている刺激を観る、
感覚を生じている感受性を観る、というプロセスがあります。

ふわっとあいまいで、
微細なものを感じることに加え、
感じている刺激をただ観て、
感覚を生じている感受性をただ観て、
観たものを観た通りの言葉に置き換えています、というのが舞台裏。

あたかも見てきたかのような文章になっているのはそのせい。
観ているものをそのまま説明しているだけだから。

見えない世界を観える世界として扱っているので、
見えない世界を観えない方に読んでいただいたとき、
観えたかのように読んでいただけるのかなと思います
(あれ、なんか難しい言い方になった?)。

この、
感じている刺激を観る、
感覚を生じている感受性を観る、というプロセスは、
直感に近い感性の動かし方にになるので、
生まれつき直感タイプでない方にとっては難しいかもしれません。

でも、無理っていうことでもないです。
感覚をきわっきわまで使っていった時に
ふとした瞬間、シフトチェンジで出会えるかもしれない世界。

極は、物の性質の反転を可能にする場。
ご自身の感覚を「極」まで持っていけた時、
対極の直感の世界と出会えることと思います。

繊細で、軽く、早く、美しい世界。
そんな世界との出会いを、
どうぞ楽しみにしていてくださいね♪

ということで、そんな風に、
感覚と逆の仕組みを
感覚と同時に走らせていることで
ご覧いただいている記事は作られています。

ですから、
私の表現を基準に、
そこまでわからないから、自分には感覚がないんだ、とは
どうか思わないでください。

言葉にならなくても、
ご自身で感じていれば、それがご自身の感覚。
ご自身の正解です。

何かと確認したい場合は、
事実、現実と照合します。

人と比べない
自分を大きくとらえない
自分を小さくとらえない

現在感じていらっしゃる
等身大の感覚がスタートライン。

思ったよりも感じやすくて苦しく、
もっとにぶくありたいと思われるかもしれません。

思ったよりも感じられず、
そんな自分にがっかりされるかもしれません。

どちらも間違いじゃありません。
大切なのは、
ご自身の感覚をタイトにとらえること。

等身大の感覚を
受け入れるところから始めていきましょう♪
Let’s try☆

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