ブレないのは……
photo by benico ⇒ ☆
みきです♪
出会ったみなさんから「ブレない人」というコメントをいただくことがあります。
それはおそらく、軸を持たない私だから。「点」として在る私だから。
この認識を選ぶまでに、こんなプロセスがありました。
今日は私の原点のお話。
私を「私」に育てて下さったのは、ベテランの精神科医。精神分析療法を受け継ぎ、発展させた方です。
主治医はかつて、「生きていることが不思議なくらい自我が希薄」と私を見立て、人が生きるために必要と言われる「軸」が育つようにと働き掛けてくださいました。
当時の私は、「それは真実ではない」と激しく抵抗し、治療の膠着状態は数ヶ月にも及び……。
高齢だった主治医にとって、そんな私の治療を引き受けることによる心身へのご負担は、相当のものがあったのではないかと拝察いたします。
「大変な患者こそ自分が診なければね」と、日本の精神分析家の草分けとして、最後までお引き受けくださったこと、今も心から感謝しています。
カトリック信徒として大先輩でもあった彼はある日、「あなたには特にマリアさまの助けがあるはずだから、困ったときはマリアさまに呼び掛けなさい」と。それは突然の治療終焉がしらされる前週のことでした。
翌週、海外での学会から戻られ再会できるはずだったその日私は、主治医との再会、軸と呼ばれるものを持つ機会を永遠に失いました。
ついぞ軸を持たぬまま、主治医の治療家生活とともに私の治療も終わってしまった。
数年の治療を経て、手元に残ったものは、「原点」という確かな感覚。
「誰しも、存在の出発点としての原点を持つ」ということを確かに掴んだ心の旅。
「ロザリオの月」と呼ばれる10月になると、彼のことを思い浮かべることが増えます。
先生、「私」を育ててくれてありがとう。
先生という「世界」との出会いからいただいたたくさんのこと、中でも最も大切なこと、しっかり継承できてるかなぁ。
報告したいことがたくさんあります。
おやつもマリアさま♪
私にもそんな原点、が、あるのかな…
意識した事がなかったな。
わたしという存在の出発点としての原点。
何度かお話したけど、
私もいわゆるグラウンディング、根っこをしっかりはやすことを選んでません。
みきさんから紹介して頂いたC先生から、言われたことが、私の中でガチッとはまったので。
めいさんのグラウンディングは、根っこを生やしてドッシリ、じゃないんだよ。
猫族は木の上で、自由に居場所を変えて、
直感で瞬時に物事を選ぶのよ。
ひとつの概念にも固定されてないかもだし、
はたから見たら主義が一貫してないかもしれませんね(笑)
でも私の世界の心地よさの中では、
これで筋が通っているのです(o^^o)
>めいさん
原点がないもの、まだ見たことがないなー。
原点がないものがあったらお目にかかりたいo(^-^)o
めいちゃんの世界が整うことが最初だもんね。
そうなると、その心地よさ、美しさが、自然に
流れ出て、家族や友人、周りの人たちに与えられる。
整った自分でいることは、それだけで、世界に
贈り物をしていようなものだから。
Cちゃんは本当に得がたい友人で、彼女が
いてくれると私の世界に美しい色が付きます☆
グラウンディングのもう一つの視点についても、
折りを見て記事にしようかしらね。
グラウンディングの記事、楽しみにしてます(o^^o)
そして、Facebookでも書きましたが…
この記事の文章には書かれてない、私が絶対想い及ばない葛藤を超えて…今のみきさんなんだなぁ
軸、ではなく、原点である、と、
自分ではっきりと掴んだみきさんと、K先生が、
いつか再開出来ることがあるといいですね。
長い人生、そんな日もあるかもしれません。
うん、ありがとう(´∀`)
K先生にも、S先生にも、報告したいことたくさんあるーo(^-^)o
死を望む衝動ってホントにあらがいがたい強さでね
(薬の副作用が重なってたからなおさら)。
以来、自死を選ばれた方には相応の状況があったはずで、
それを「死んではいけない」とばかりに、
一方的に周囲が止めることは暴力にも等しいのではと、
見える世界が広がった経験の一つになりました。
多種多剤投与は危ないことがあるし、
多種投与が必要になるってこと自体、その薬のよさが
出ていないということ……
(私も一度も効いたと感じたことはなかったよ)
精神の問題が長引くとき、ホメオパシーを見つけて
くれる方が増えたらいいなと思っています。
とおると申します。blog読ませて頂き、コメントさせて頂きます。芸能プロダクションのプロデューサーとして、今まで数百のモデルを誕生させて来ました(^◇^)メッセージなどでやり取りできたら嬉しいです!モデルや雑誌関係のお仕事とかにご興味おありでしょうか?