出典を示す心遣いは、ご自身のオリジナリティーをも守るんだよ☆

ブログを始めて何年かな……。

その間、たびたび驚かれ、
その内容にこちらも驚いたのが、
出典の明示。

みきです♪

「みきさんって、
文献をちゃんと記事に記載されるんですね(;゚Д゚)」って
びっくりした様子でたびたび言われて、

最初、
何の話か、
その件がなぜ人を驚かせるのかピンとこず、
一緒にびっくりしましたw

記事末などに
[参考文献]
[引用文献]
等のスタイルで、
参照、引用元を明示していること。

私が所属していたそこここ、
心理学科、出版社、レコード会社、
アーティストの事務所など、
研究、発想、表現、創造を中心とする活動の現場では
これって至って日常動作。

ちまたでは、
そんなに驚くことだったのね!(;゚Д゚)

記事を書く際に
文献を引用したときはもちろん、
参照したとき、

文献に限らず、
どなたかの言葉や行動、アイデアをきっかけに
着想を得たときも

必要な場合には関係各所と確認をとり、
出所の明示を徹底してきました。

それはなぜだと思いますか?

出典明示という文化の背景、
思い描くことはできますか?

ウィキペディア日本語版さんによれば、 ←これも出典明記ですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:出典を明記する

参考文献(書籍や論文、ウェブページなど)など
情報源を明記する理由について、
次の3点があげられています。

1.内容に問題がないか確認できる
2.読者がさらに調べるときの参考になる
3.著作権・著作隣接権の遵守

出典の明記は
その発想を出してくれた方、
その記事を読まれる方、
他者への心遣いが背景にあると感じていただけるかしら。

私が出典を明示するのも
その3点が背景にあり、

実はさらにもう1点、
大切な理由があります。

他者のオリジナリティーを尊重するものしか、
自身のオリジナリティーを見いだせない

という、
見えない世界で観えている理由。

例えば、

・参照先、引用先があるのに示さない
・参照先、引用先があるのに自身で生んだもののように伝える
・参照先、引用先に、明示しない了承をとっていない。

本やHPなど、
公式に形になっているものだけでなく、

・誰かから知ったアイデアを、自分が考えたことのように伝える
・誰かからもらったメールを、自分の言葉として伝える
・情報源に、明示しない了承をとっていない。

などといった行動も含めて。

誰かの言葉、発想を、
互いの了承なく、
自身のものとしてしまうとね。

自身の発想の領域が濁り、
吹き出し口が塞がれてしまうのね。

いざご自身で創造されたいとき、
大事な道具が使い物にならないの、
困っちゃうんじゃないかなー。

自身でよいものを伝えたくて?
いいなと思った誰かの言葉、発想を、
つい、了承なく、自身のもののように振る舞ってしまう?

その癖は、
ご自身での創出を
ますますせき止めてしまうんだけどな。

見えないところで起きている
こうした事情を知ったなら、
みなさん何を選ばれるのかな。

以前注意喚起させていただいたのも
ここに理由があります。

話したり、書いたこと、
お伝えしたこと、表現が
ブログなどに書きたくなるくらい
何かサービスを創り出したいくらい
どなたかの心に響いたことは
うれしいけれど、

見えない世界の仕組みから観て、
それはご自身を損なう手段。
もったいないのねー(´ー`)

ブログを継続してくると、
どなたかがリンクしてくださったり、
紹介記事をつくってくださったり、
執筆依頼や出版したいという
ありがたいお誘いまであったりするだけでなく、

私がお見せしたことお話したこと書いたこと、
送ったメールの文章ほぼそのまま、
どなたかの考えたこととして
出典の明示なく使われていたり、

なんならブログタイトルまで
ほぼ一致していたこともあるそうで(!)、

びっくりするようなこともあったけれど。

私を知ってくださっている方が
ご自身のオリジナリティーを見出したいとき、
援助が必要な際は、そう伝えてくだされば、
状況に応じてお手伝いすることもできたかもしれません。

私の発想や表現をこそっと移植されるよりも、
ご自身の想いに合う、もっといいもの、ご提案できたかも

(実は私の「強み」、
ストレングスファインダー測定で「戦略」「着想」「共感」だから。
想いを汲み、言葉に変え、目的に応じて道筋を見出し、方法を独創すること。
生来的な強みのようなので、ちゃんと打合せして、ご一緒に取り組めば、
ご自身によく、私にもよく、受け取られるみなさまにもよい何かを
協創できたかも)。

それによって私達は、
よい時間とよい経験を持ち、
互いに信頼を深めることが出来たかも。

そうしたチャンスを逃してしまうのは、
私の不徳の致すところなのかなー(´ー`)

リンクしたいとき、
引用したいとき、
記事を受けて記事を書きたいとき、

私が放ったアイデア、言葉を使いたいとき、
メールを一本くださいな
(記事作成の意図、志により、
必ずしも了承するとは限りませんが……)。

他者と
他者の発想、表現は
その程度に扱っても構わない、
自分のものとして扱っても構わないという

自他の分離がなされていない関係は
私は好きではないこと、
知っておいていただけるとうれしいなー。

私も人間なので、
不快を感じることもあるのです。

自然の流れに反したものは
不快に感じてしまうのです(´▽`)

そして、最も大切なこと。
ご自身の才の源を
大切に守っていかれてくださいね。

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