見えないところでしていることが、見えるところに影響している ☆願望2

この記事を読んで、
願望などを頭に想わないほうがよいの?☆
過去記事のいくつかが
思い浮かばれた方もいらっしゃるかなー。

今日はもう少し、
場面が変わったときにも応用できるように
パターン化?して、お伝えしてみます。

みきです♪

思うこと、
話すこと、
行うこと、といった
「人の行動」は

人に備わる
機能、能力、道具で

それ自体が
「悪い」っていうものはほとんどなくてね。

行動に至らしめた「理由」や「動機」、
行動に際しての「使い方」といった
目に見えない領域の行動の違いにより、

みんなで幸せになれたり、
なれなかったりといった
目に見える領域での「結果の違い」が生まれる。

「都合の悪い」人が多い結果を導いたものは、
簡略に「悪い」と表現されることが多い。

といった状況と私は観ています。

単体の問題ではなく、
二つ以上のもの、
「もの」と「もの」の「関係性」の困難、ということです。

お題の「願望」も、

「思う」という
人の行動、
人に備わる機能、能力、道具なので、
それ自体が何か悪いっていうものではないけれど、

その願いが形作られるに至った
理由や動機、
使い方によっては、

みんなで幸せになれたり、
なれなかったりする。

「都合の悪い」人が
たくさん生まれちゃう扱い方もできるから、
都合の悪いご経験をされた方は
願望を「悪いもの」に分類したくなるみたいだけれど、

実態を正確に観るなら、
願望自体が悪いのではなく、
願望に至った理由や動機、
願望の使い方が全体にそぐわない方法だったというだけ。

もの自体が悪いって言うものは、
ほとんど存在しないから
(少なくとも私は知らない)、

見えない領域でしていることが、
見える領域に反映するという
ものとものの間の世界、「関係」に関する
シンプルな一貫性がそこにはあるだけ。

>左脳人間

とおっしゃるタイプの方には
より仕組みにフォーカスした
この記事の説明の方がわかりやすいかな、
いかがでしょう。

理由や動機という、
目で見ることはできない領域での行動が、
手にする結果という、見える領域に影響している。

ものや人の仕組みや機能は
見えないところでそんな風になっている。

もし、そうであるなら、
願うという行動、道具を
いつどうやって、
なぜ使う?

自身の意図=本音に敏感でいることは、
見えない世界とのお付き合いを深める一助となります。

するのはなぜ?
しないのはなぜ?

ぜひ、そう自問、
ご自身の意図=本音をモニターされながら、
意図の結果である、
様々なご経験をなさってみてください。

その時きっと、
これらのお返事記事の意味を
真に知っていただけることと思います。

中には、眼前がぐらっとし
見ている世界ががらっと変わるご経験をなさる方もいらっしゃるかも☆
お楽しみにね♪

ティアラ
日本ホメオパシーセンター渋谷笹塚交差点
https://tia-ra.jp

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です